さて、京都編に戻ります。
今回の休みでは何時もの行っている場所+修学旅行で行った事のある場所に再び訪れてみようと思いプランを組みました。
と、言っても今を遡る事35年以上昔の事(笑)
群馬の中学、高校で京都、奈良に行ったのだが、覚えている場所がかなり少ない。
覚えていても何処の寺社仏閣なのか解らない。
金閣寺、銀閣寺、二条城、太秦映画村、北野天満宮といったメジャースポットは覚えている(勿論、新京極も)のだが、既に行っているので今回は今迄行っていない修学旅行で行った京都の寺社仏閣をおぼろげな記憶を辿って訪れてみました。
朝、起きて外を見ると雨・・・
こればかりはどうしようもない。
「雨の京都も風情があって良いじゃないか」
そう自分に言い聞かせて先ず向かった先は
三十三間堂
1000体以上の仏像が安置されていて、そのなかには自分に似ている仏像がある(と、修学旅行のガイドさんに聞いた覚えがある)
そうだ。
堂内は撮影禁止の為、自分に似ている仏像を探したい方は是非足を運んでみて下さい。
次に訪れたのは直ぐ近くにある
養源院
養源院と言うと有名なのが
血天井!
ざっとかいつまんで説明すると、豊臣秀吉の側室、淀君が父の浅井長政、祖父の浅井久政の供養の為に創建したと言われています。
何故、
血天井があるのかと言うと、関が原の戦いの前哨戦と言われる
伏見の戦いで、徳川方だった城主の鳥居元忠以下1800名余りの武将が石田方の4万の兵に対し数では圧倒的に不利ながら篭城戦を展開し、予想以上の苦戦を強いられた。
最後は城内に火を付け、鳥居元忠以下、全ての武将が切腹して討ち果て、その武将達の血に染まった床板を供養の為に寺の天井に使ったのが血天井です。
今でも鳥居元忠の切腹して果てた血痕が見れるという血天井。
雨の降る日には天井から真っ赤なしずくが落ちてくるとか、遊び半分で訪れた人が鏡に映る自分の姿が血まみれに写ったとか、そういう噂のある場所でもあります。
修学旅行でも血天井を棒で指して、「ここが鳥居元忠の頭で・・・」と、説明を受けたのを覚えていたので早速中へ入ってみます。
こちらも撮影禁止ですので寺院の中の写真はありませんが・・・
先ず目を引いたのが入って左側にある
俵屋宗達作の唐獅子の杉戸絵
以前、
貝殻シーサーを作っていた身としては狛犬同様、シーサーの原点と共通する唐獅子には非常に興味をそそられます。
拝観料を払い、早速血天井と再開。
以前と同様、天井の部分を棒で指して「ここが顔で、ここが足で」と説明を受けていると・・・
不思議なことに鳥居元忠の姿が浮き出てくるではありませんか。
顔の表情や髷、甲冑の様子までまざまざと浮き出てきます。
説明を聞いてるからそう見えてくるのかな~、なんて思っていると
「見える方には髷や表情、甲冑まで浮き上がって見えると言われる方もいらっしゃいますよ」と、とどめの言葉が(笑)
手の跡や足の跡、他の武将の顔等も見え始め、意識が同調してしまったのか物凄く切ない気持ちになってしまい
「これはヤバイかも」と、思った矢先、案内されている方が
「それでは次の説明をさせて頂きます」と、言う言葉にふと我に帰る事が出来ました。
(あのままの状態だったらかなりヤバかったのは事実)
次に説明を受けたのも俵屋宗達の描いた象の杉戸絵。
当時、象は架空の生き物に近い存在で、宗達も実物を見て描いたものではないと言われています。
確かに現在の象と比べると違和感はありますが、一つの絵として観るとその迫力や構図、色使いも絵の解らないオイラでさえもその素晴らしさが解ります。
最後はやはり俵屋宗達の描いた麒麟の絵。
麒麟も空想上の動物の麒麟の絵で、本来は麒が雄で麟が雌、雌雄合わせて麒麟だったそうですが、何時の間にか一体で麒麟と呼ばれる様になったそうです。
そのうち狛犬も1体で狛犬とかシーサーも1体でシーサーと呼ばれたりするのかも?
(シーサーに関しては本来は1体だけだったという説もあります)
お庭の様子も苔がモソっていたり、紅葉等も多かったので紅葉の時期にも良さそうな場所ですね。
また京都のお気に入りの場所が増えました。
通学旅行では単にイベント気分で訪れていた京都ですが、この年になって改めて訪れるとその良さが解って来ます。
それ故、若者よりもある程度年齢を重ねた大人が多いのかも知れませんね。
海外の観光客も多く見られますが、一部にはテーマパークと勘違いしてる海外の観光客も見られます。
集団でデカイ声でわめきながら通り過ぎる一段を見ると幻滅しますが、そういった観光客も一過性のものでしょう。
あと何年かすれば元の京都に戻ると思います。
それまでちょっとの辛抱ですね。
続く
三十三間堂の
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